風にのって ―21世紀の最先端医学とは―
国際医学アカデミー・ライフハーモニーサイエンス学術評議会議長
医学博士 堀江 良一
本日は、私の母校におきましてお話させていただきますことに、まず心から感謝し、厚くお礼申し上げます。大社幼稚園、大社小学校、大社中学校、大社高等学校とトコロテン式にみんなと一緒に歩んで参りました。
さて、今週のはじめ、8月8日の日曜日に、紫式部でよく知られています福井県の武生市におきまして、春日大社の現宮司、葉室頼昭(はむろよりあき)先生とご一緒に講演を致して参りました。
葉室先生は大阪大学医学部のご出身で、WHO健康フォーラム『講演と心のコンサート』でも何度か講演をご一緒に致したことがございます。
先生の学問の深さと、高邁なご人徳に、いつも頭の下がる思いを抱いております。
葉室頼昭先生と私の同じ想いを一口に申し上げますと、『信仰と人間医学の希求』ということになります。そして、それは、世界の人々の未来に必ずや貢献するものと固く信じながら医学の道を歩んで参りました。
(スライド)(基礎医学および臨床医学1)
本日の私の講演は、はじめに、2つの最新の医学研究についてお話し致します。
そのひとつは、医学の祖と称されていますヒポクラテスの昔から何千年もの間、絶対に起こりえないことと信じられておりました、生後の脳神経細胞の分裂。
そしてもうひとつは、近年の老化研究の大きな課題となっております『老化現象の促進因子の制御(せいぎょ)』に密接な関連をもつ化学物質が脳内に存在しているという事実につきまして述べさせていただきます。
この2つは、高齢化社会の真っ只中、いや超高齢化社会にまっしぐらに走っていると言われております昨今、先進国のみならず、開発途上国においても、最も注目を集めております医学上の最重要課題の1つとされています。
医学研究スライド1 前者、すなわち脳神経細胞の生後における成長期から老年期においても脳神経細胞が分裂するという新事実は、痴呆症の研究にとって全く新しい光を投じることになりました。さらに、この細胞分裂の新しい発見について、是非とも申し上げておきたいことは、いわゆる『心臓移植』をはじめとする『移植医療』は近い将来全く必要のない医学技術となることを「大自然」は私たちに約束してくれたことになったのです。
それは脳の幹細胞をはじめ『幹細胞研究』というものが、今、全世界で急速に研究されているからです。この研究の大きな基盤となった医学は、ご存知かと思いますが、クローン技術でありました。
現在行われております心臓移植は、ご周知の通り、結局のところ「拒絶反応との戦い」であり、「終りなき永遠の戦い」であります。「大自然」に対して戦いを挑んでいるのです。自分でない非自己(両親や兄弟をはじめ他の人)から臓器の提供を受けることを『大自然』は認めていないということを、私は体で感ずるのです。このことを国家で申しますと文化の国フランス(「人間は自然の一部である」とし医学医療のあり方を厳しくチェックすることを国家で決めています)、人で申しますと日本が誇る卓越した英知によって「脳死」を否とされる梅原 猛(うめはら たけし)先生(京都大学文学部哲学科卒、国際日本文化研究所の初代所長)。
「脳死」の方から心臓をもらって生きる患者さん、そしてご家族の方には、極めて深い切実な想いや、涙にこめられた熱い祈りが込められていることを、医師ではなくても「人間なら」誰でも同情の極みであります。
しかし、いかに優れた免疫抑制剤(体の外から細菌や異物が入ってくるのを防ぐ拒絶反応を抑制する薬剤)が開発されましても「永遠の戦い」は終らないのです。それは心臓移植に代表される移植術というものがこの『大自然』に全く相反している医学だからなのです。『免疫』という、大自然から人間に与えられた何という有難い生命現象。それは、極めて大切な、生きるための生命を防御する大きな大きな力の一つであります。私たちは、この『免疫力』を大自然から授けられたことに、心から感謝しなければならないと思います。しかし、心臓移植におきましては、全く逆に、その本質的なありがたさを忘れ、奢りという名の極めて小さな人間の知力によって、ややもすると足を踏み外そうとするような医療行為と譬える人もいるのです。又、ある医学者は、後天性免疫不全症候群(エイズ)を、こともあろうに、人為的に作り出そうとしているとまで言っています。「大自然」がいかに大きな力をもっているかを、勇気をもって、静かに考えてみたいと想うのです。いかなる病苦も、「大自然」は私たちに何かを考えるチャンスを与えて下さっているのです。人それぞれに、ありがたい寿命というものを『光』として投げかけて下さっています。
医学研究スライド2後者、老化促進因子の制御(せいぎょ)、つまり蛋白質変性促進因子の制御は、長命すなわち単なる長生きから、長寿すなわち健康な長命を求めます全人類にとりまして、不可欠な研究として、世界の研究者が競っております。
ここで、最も強調させていただきたいことは,『老化』そのものの研究は、加齢研究として医学の中には確かにありますが、学問のひとつとしての興味こそあれ、本質的には驚くほど有意義な研究は、あまり存在しないというのが生物学者、生理学者、医学者の共通した意見であります。人の生命を長くするという分子遺伝学上の「長命」研究を全く無意味なものとは思わないのですが、果してそれを大自然が容認することなのでしょうか。逆説的な表現で申しますと、そういう「大自然」の下に立って下さることを念じながら、『老化促進因子』のことに若干触れてみたく思います。
私たちは、いずれ必ず『死』という幕を下ろすことに、大自然はありがたくも決めて下さったのです。これがいつまでも死なせていただけなかったら、この今の素晴しい地球も、私たちひとりひとりの美しい人間も、一体どうなるのでしょうか? 少なくとも地球はひっくりかえり(?)...人々は、地球から滑って落ちて(?)しまいます。思ってみてもゾッとします(?)。
ですから限りある命に、又、そのように決めて下さった『大自然』に手を合わすのです。
しかも、「大自然」は私たち人間にのみ、『健康』と『死』の間に、『病気』という極めてありがたい期間をもつくって下さいました。人間以外の他の動物は健康と死の間が、極めて短いのです。健康そうに観えていても、明日はコロッと死を迎えるという事実を思い浮かべますと、人間のように、病気という長くありがたい時間を生きることは、「病気」によって「大自然」が人間を守って下さっているということに他ならないと気付くのです。
現在(2005年)日本人の死因の第1位を占めます癌につきましても、最初は20μ(ミクロン)(1mmの1000分の1)程の超微小のたった1個の癌細胞が分裂し1cm(1ミリの10倍)(精密な検査によって確実に検出できる癌の大きさの最小値)程になるのには、四分の一世紀はかかります。
つまり25年間の執行猶予を「大自然」は私たちに与えて下さっているのです。
このように『大自然』は大きな力で私たちを見守って下さっているのです。
それは何故でしょうか?
人間の一生の始まりを卵子(人間で最も大きな細胞)と精子(人間で最も小さな細胞)の合体としてのたった1個の受精卵です。その後お母さんのお腹の中で10月10日の間に1個の受精卵からあの赤ちゃん(脳神経系と循環器系を除いては大人の人間と殆んど変わらないとある意味では言うことのできるあの赤ちゃん)が出生します。現今迄の寿命研究では、ヒトの寿命に関連する最も信憑性の高い遺伝子から想定しますと約120年は生きられるとされています。
さて、120年と10月10日を合わせて、ヒトの人生と考えてみましょう。
これを24時間(1日)に置き換えてみますと、出生しましてからの120年間をフルに120年間いきのびることができたとしましても、出生してから死までの時間は約1秒でしかないのです。すなわち、10月10日は23時間59分59秒にあたるのです。これは現在の進化論(少しずつ考え方も変って今ではそのものずばり「進化論は変る」という一般の方々のための読みやすい本も出ていますがその学術的本質は全く変化しておりません。その進化論)を基盤にした考え方なのですが、私はまさしくそう思います。
「大自然」は、このたった1秒を大切にするためのお守りとして『老病死』の時期を前述のように、他の動物に比べれば、驚くほど長く与えて下さっているのです。
この理論の前提になる思想があまりスッキリしない方々もいらっしゃるかもしれません。その第一の理由は、この計算の方法は高等学校では、ほとんど習わないからです。縦(よ)しんば習っていらっしゃっても、その本質を習っていらっしゃらないからだと思います。
これは、大学院医学研究科の学生を教えます時に、(少なくとも国立島根医科大学の大学院生に対しましては)、まず確率統計論の『思想』から始めなければ、4年間の博士課程大学院学生(と申しましても、医学部6年を終え医師国家試験は合格している立派な学士なのですが)はチンプンカンプン何も分からないのが実情なのです。これも同じように、その本質を高等学校卒業までに習っていないからでありました。高等学校時代の私の同級生で、いわゆる進学校と呼ばれる高等学校の数学教師をしています友人は、「そんな本質的「思想」は教えていない」ということでありました。
『小学校5年生に分かるようにやさしい言葉で説明できなければ、全くあなた自身が分かっていることにはならないことなのですよ』と大学院学生に私がいつも申しますのは、『何が正しいか?何が正しくないか?それを医学の長い歴史の中ではどういう方法で行ってきたか?そして、医学に絶対という言葉は何故使えないのか?』という事を、小学5年生に還ってもらいゆっくりと学ばせ教えています。
「数学」は「文学」(思想)なりと思えたとき、その数学は算数から本物の数学になると奈良女子大学理学部数学科教授でありました、故岡 潔先生の『日本のこころ』という著書から、私は学びました。
一生が僅かに1秒となる本物の数学を是非わかっていただきたいと思っています。
話は戻りますが、そしてこれも又逆説的な表現になりますが、その1秒の中で(0歳から15歳まで)のおよそ15年間を小児と呼び、それから65歳迄を成人と呼び、さらに65歳以上を老年(高齢者)と呼んでいます。上述の1で述べましたこと(生後における脳細胞分裂の発見)は、何千年もの間、受精卵の分割はお母さんのお腹の中からこの世に生まれ出てからは、小児期・老年期には脳細胞は分裂しないとされていたのです。(小学校入学の頃までに神経細胞と神経細胞のつながりはおおよそ大人と同じように機能形態形成が完了します。
ですから、脳が情緒形成の上で最も外的環境の影響を受け易いのは、お母さんのお腹にいるときなのです)
免疫抑制(免疫力を抑える事によって拒絶反応を押さえ込むこと)によって(そのため体の免疫力が弱くなり感染症が例外なく起こります)剤を用いたために、平均寿命まで健やかに過ごすことの出来た方が、この世界に、一体、何人存在していらっしゃるのでしょうか?
又、一方では、人間については絶対に行ってはならないクローン技術について他の人間以外の動物での成功例がどんどんと報告されます(これが科学者の競争に火をつけているのですが...)
それにも拘わらず、人々は誠にありがたいことに、その報告に「極めて強い恐怖心」を持つに至っています。
少なくとも『人間たる日本人』はそうであると信じています。
クローン技術と申しますのは一口で申しますと、『心臓、肺、肝臓、皮膚など、体のすべての組織や臓器の、採取しやすい部位の1個の細胞からどんな組織や臓器をも作ることができる』ということの発見にその源があります。「大自然」は、この生命現象を、イギリスのように「人間にブタの心臓を移植する」というような邪道な道を人間に示しているのでは決してありません。
20世紀はやっと原子爆弾によって人類が全滅することから逃れました。
21世紀にはこのクローン技術によって(自分と完全に同じ人間が何人でも作れる技術によって)、人類が滅亡する確率は、その原子爆弾と同じ確率なのです。
しかし、このクローン技術を『人間医学』という大自然の意に沿った用い方をすれば、心臓移植その他ほとんどの移植手術が不要となるのです。
卵子と精子が合体し一つの受精卵になりましてから、その受精卵の中の核だけをとりさります。そしてその核が取り去られた卵細胞の中に、その人と同じヒトの人体の臓器(例えば最も簡単な部位として皮膚)を構成している細胞の核だけを入れ込みます。その卵細胞(受精卵)は、どんどん分裂を始めます。およそ6週間経った頃、かなりの数になった細胞の一個を体の外で(すなわちシャーレの中で)細胞培養します。すると、当然、どんどん分裂し、やがて細胞が集って組織となり、遂には臓器にさえなる可能性さえもっているのです。
そのある臓器にというところが重要です。例えば、新しい心筋細胞を必要としている時、一個の細胞から採取した細胞に同じ個体から採取した細胞の核を入れてやりますとその受精卵は、体の外、たとえば細胞分裂を生じさせるための培養シャーレの中で分裂(と臓器形成)の具合をうまく目的臓器の細胞の方に誘導してやりますと、それが心臓ならば心筋細胞となりそれらが集って心筋組織となり、心臓そのものにもなる可能性をもっているのです。
少なくとも、心筋梗塞をおこし、心筋の一部の細胞が壊死(体の一部が死ぬことです)に陥りますと『細胞移植』の形で医療すれば、壊死に陥った心筋の細胞はすべての細胞が元の健康な細胞に戻るということです。
ですから、将来『心臓移植』は不要になる蓋然性があるのです。
したがって、「脳死」についても、おそらくこれまでとは大きく考え方が異なってくると思います。何故かと申しますに、人間のこの小さな頭で心臓を移植するという「めもあてられない医療法」を200年の歴史しかもたない国(?)から輸入しようとして初めて『脳死』という考え方が持ち上がってきたことを、もう一度熟考すべき新時代に入っているのですから...。
上述の細胞移植の場合、一番最初に他から持ってくる細胞は自己の細胞ですから、拒絶反応は全く生じないという「大自然」のありがたい生命現象を人間は少し垣間見たというわけです。
しかし、よく考えてみますと、一体全体一個の受精卵から、通常、体の全組織、全臓器に分かれていく(分化していく)ことは、「大自然」の他、一体誰が出来るのでしょうか。
その生命現象、「大自然」が私たちに与えて下さった、無限の世界が続く不思議さを、私達医学研究者は、(Something great「大自然」が創造した大宇宙大自然を)実に小さな窓をあけてソッと覗いている、つまり地道に研究しているにすぎないのです。『人間によって発見できることは、そのような生命現象が元々なければ発見できない』という、厳粛な想いを、いつも心にたどっております。進化論がいかに変化しても、この地球上の生物はSomething greatにしかできないことだけは、詳細な研究をどんどん深めてゆきますと、誰でも納得できることであります。
この際、核を取り除いた卵細胞に、同じ自己のある体の一部の細胞の核を入れ培養していくわけですが、これをもう一度自己の生体の子宮に戻してやりますと、その受精卵は成熟をし、ついには出産を迎え、いわゆるクローン人間ができるのです。
さすがにこれだけは、世界の医学界全体で禁じられています。

さて、次にお話し致しますのは、上記のことと同じく、これ迄の私の研究の中から、ひょっとすると皆様がご存知ないかもしれないことで、極めて大切なことを3つだけそのタイトルのみを挙げておきます。

(スライド)(基礎医学および臨床医学3)
医学研究例3 高血圧および脳卒中の遺伝子とその発現
(a)新生児の血圧(70~60/40~30mmHg)が成長に従って高くなるその機序は?
(b)ヒトは血圧が高いと、脳の血流量は多くなるか、少なくなるか?
(c)血圧が高いと、何故脳卒中になるか?
医学研究例4
(a)高血圧の遺伝子と、動脈硬化の遺伝子は同じものか、異なるものか?
(b)高血圧と動脈硬化の基本的血管病変は同じものか、異なるものか?
医学研究例5
(a)食餌によって脳卒中や脳萎縮(脳血管性およびアルツハイマー病型痴呆症)は予防できるか?
(b)病的老化の遺伝子の発現における、環境条件(栄養・音楽)は有効か、無効か?
(スライド)(基礎医学および臨床医学4)
最後に、現在の私の研究と世界の研究の重要性と危険性について述べてみたいと思います。
医学研究スライド4
1再生医学における幹細胞の利用の倫理的問題は何か?
2原子爆弾とクローン人間とどちらが恐ろしいか?

私は、6ヶ年の大学医学部を卒業し医師国家試験を終えました後、脳神経外科学講座へ入局しまして2ヶ年の研修(登録医制度)を終了、その後4ヶ年の大学院医学研究科では、脳神経外科学と脳神経病理学を専攻し、その直後渡米致しました。
およそ10年間、脳神経外科医として、自ら手術を行い、患者さんそしてそのご家族の方々と、悲しみも喜びも、共に生活をして参りました。
大学院では4年間のうち2ヶ年で2つの論文を完成し、そのうちの1つの内容が、第1回の日本脳卒中学会賞の対象となり、米国政府よりNIHへの渡米要請をうけました。
NIHというのは米国国立医学研究所のことなのですが、NIHのIはInstitutesと複数で申します。それは、国立島根医科大学を40個程集めた程の、世界最大の医学研究所であり、また救急患者も入ってくる第一線の臨床医学研究もできるところでもあります。ワシントンから車で約1時間、出雲と松江位の位置となります。すなわちワシントンD.C.のすぐ西側にメリーランド州がありますが、その中のベセスダ市にあるのが、NIHです。
私は、大学院医学研究科2年のときに、米国政府よりVisiting Associate Professor
客員准教授の要請をうけ、家族全員すべての面倒(旅費・滞在費・生活費)は米国政府ですべて看るという条件でした。
そこで、私は当時の文部省に参りました。私は高等学校3ヶ年、大学医学部6ヶ年そして大学院医学研究科4ヶ年すべて日本育英会の奨学金、それも特別奨学金をもらっておりましたので、一日も早く大学院を卒業し渡米したく思っていましたので、昼夜の区別なく、昼間は脳神経外科の外来・手術(臨床医学棟)など、夕方からの脳神経病理学の研究(基礎医学棟)は翌早朝まで、全速力にて走りました。
文部省の答えは次のようでした。
「結構です。大変結構なお話です。日本にとりまして名誉なお話です。どうぞお元気で行ってきて下さい。ただし、念のために...日本にお帰りになりましてから、あと2年間京都大学大学院医学研究科に在籍して下さいますようお願いします。そして残りの2ヶ年の後に、京都大学医学博士の甲種学位を差し上げることになります。」ということで、大きなショックをうけました。
今では、このようなケースは、京都大学では稀な例ではなく、基本的には、できるだけ若いうちに国際的な感覚を研究者に与えようとしています。
今日の京都大学大学院医学研究科におきましては入った個人の能力次第で1年でも卒業できます。
このように医学教育の面では、日本は欧米に10年程は遅れております。
因みに、医学医療そのものも、その分野によって異なりますが、少なくとも、10年は遅れております。
米国では医学部専門課程に入る前に、4年間の教養時代がまずあります。
そののち医学専門教育4年間、計8年です。
欧米では、医学専門教育の前の、教養課程4年間に、「死生学」つまり、「死」についてしっかりと、しかも自由に教育を行います。
日本の医学関係者の中で、死生学協会(本部は米国コロンビア大学医学部)より「死生学功労賞」をうけられた方は、後述致します日野原重明先生(ハーバード大学医学部客員教授)唯おひとり...。何故か?...と申しますと、欧米では通常「死」から医学教育を開始しますが、日本は「生」から教育するのです。日本の医学教育の大きな誤謬(ごびゅう)の1つを感じます。
親孝行(?)でありました私は、(つまり、『京都大学甲種医学博士号』という認証を1日でも早く父母にみせたいという心によって)あとの2年間、そのまま京都大学大学院生として残りました。
そして、2つのことを、残りの2年間に、日本で修得致しました。
1つは、4年間のうちの2年間という前半に既に完成しました2つの欧文原著主論文(通常は主論文は1つで合格)の他に、副論文として、(当時、特に病理学講座におきましては、相当のこと(?)がなければ)いくら自ら研究し論文を自ら完成しても、論文執筆の筆頭者にはなれず、second author(第2著者)として発表するという暗黙の規約がありましたので、first author主著者のみで数えて10編の欧文原著論文を発表出来たことです。
2つめは音楽に没頭したことであります。
大学院の後半の2年は、ピアノがあるということだけで岡崎の京都音楽院(私学)の最上階の小さな一室に移り、すぐ近くの京都音楽大学(現京都芸術大学音楽学部)の聴講生となりました。(京都大学大学院医学研究科学生(ではありましても、医学部卒業直後医師国家試験は合格し、その後、2年間臨床研修医(登録医制度)を終えた医師)との兼学業(医学と音楽)(?)が許されたのです。)ピアノ、声楽、楽理、作曲法、指揮法を、2年間でしっかりと体で学びました。
これ迄に、私は、N響の演奏によるCDアルバムを5枚、シングルCDを6枚リリースして参りましたが、すべて大学院医学研究科の後半の2ヶ年に、渡米できないというその悔しさからのがれるために、シャカリキになって、音楽でも本物になってやろうと、その時、本格的に決意したのです。
本格的にと申しますのは、医学生時代から、セミプロオーケストラと呼ばれておりました京都大学交響楽団に入っておりましたので、毎年2回の京都(京都会館第一ホール)と大阪(大阪フェスティバルホール)での定演で、日本一流の指揮者に、毎年2回出会うことができたのです。最初の指揮者は岩城宏之先生でした。
その2年間に上記の曲の殆んどのモチーフと和声の基本的なところは創造し終ったのです。...が、ご存知の通り、京都大学交響楽団の建物はタバコの火の不始末で大火となり、一瞬のごとく、私の宝であった楽譜もすべて灰になり、目の前がまっ暗になりました。
本日、こうして母校で私の医学研究の一端につきましてお話し致しますとき、私が最も誇りをもってお話しできますことは、『WHO循環器疾患予防国際共同研究』(WHOより学術委員長を命ぜられました)の、その成果と全く同じように、循環器疾患予防には音楽が欠かせないという強烈な想いから始めました音楽研究(演奏はN響、詩・随筆の朗読は加藤剛氏にお願いして参りました)、および平成10年~14年度の5ヶ年にわたる文部科学省学術フロンティア推進事業(生命科学堀江研究班)にて行いました音楽研究の成果を論文に致しましたところ、その内容を広く認めていただき、国際音楽賞(国際健康音楽研究振興賞・作曲の部)を、2003年の春に国際音楽交流協会など国内外の音楽関係諸団体より顕彰していただきました。
つまり、悔しさの2年間を、以降の、私の音楽人生に大いに役立てることが出来、副論文も通常なら1つか2つ程度ですが、10編の欧文原著副論文を文部省(当時)に示したのでありました。
私が、現在、父と仰ぎます、東京の聖路加国際病院理事長そして名誉院長でいらっしゃいます日野原重明先生(文化功労者)とは、1992年から毎年、東京・京都を主軸と致しまして、仙台・九州にてもWHO健康フォーラム記念としての「講演と心のコンサート」にて年2回ずつ講演と音楽を続けております。
敬虔なキリスト教精神で、医学を言葉でなく体と心で示される語られる日野原重明先生、35年も後輩ではありますが、仏教の心をその軸として医学を語ります私との共通した想いは、
「医学と音楽の融合。すなわち、「祈り」ということに、共にその原点をもっております音楽と医学、その一体化の希求」。
「人間がいかに小さなものであるかを、心底から感じとり、大自然に対して畏敬の念をもつこと」であります。
英語にも訳されております『Play and Pray in Medicine』がその真髄であります。
アイザック・ニュートン、アルバート・アインシュタインなど、偉大なる世界の科学者たちは、まず、心の根底に磐石にして熱烈な『信仰心』をもっておりましたことは、ご周知の通りです。
現在、日本でも、本庶 佑(たすく)京都大学名誉教授(抗体遺伝子の研究)と中西重忠京都大学名誉教授(脳下垂体ホルモン遺伝子の研究)に代表されますノーベル賞候補の大先輩も、すばらしい『人間医学』をなさっています。すなわち、科学者としての心の中に、『大きな信仰』の世界が厳然と存在し、信仰の世界がゆったりと科学の世界を包んでいるのです。
平成17年の御題「歩み」に和して

田園の 水面渡れる 産声よ
仏の姿 風と歩めり

December 31, 2004
Ryoichi Horie, M.D., Ph.D.