国内外での仕事と暮らしで感じたこと
マックスバリュ西日本株式会社常勤監査役
第17期卒業生 山崎 惣三郎
1・はじめに
私は大社高校を卒業して40年、会社も後1年で定年の節目のときに、このような素晴らしい機会を与えていただいたことに対して、千家会長をはじめ諸先輩、またとりわけ私の同期であります17期の皆さんに感謝を致しております。
私は1970年に大学を卒業しましてジャスコ(現イオン)に入社いたしました。
ジャスコはスーパーです。当時は「スーと出てパーと消えるスーパーの時代」。大学を出てこうしたところに行く学生はあまりいませんでした。
そのような時代からこの世界に入りました。当時のジャスコの売上規模は500億弱でした。私がこの前まで担当していました琉球ジャスコの売上が500億強で有りましたから、それよりもモット小さかったわけです。それが今では日本で一番大きな流通グループになり、来年には4兆円のグループ企業になるとは、私も思ってもいませんでした。
大学を卒業して、こうした業界に入って35年、国内外の仕事と暮らしを通じて、とても良い経験をいたしました。本日はこうしたことをお話したいと思います。

2.日本の果物は芸術品
昨日、出雲のジャスコに行ってきました。売場はお盆の売場になっており、店頭には「二十世紀なし」のケース売りが積んでありました。香港・中国華南では「二十世紀なし」のことを「水晶梨」と呼んでいます。水晶のように綺麗で芸術的な美味しい果物と言うわけです。香港でも時期になりますと飛ぶように売れます。
それともう一つ、皆が驚くのは日本の白桃です。これがどんなに高くても売れます。彼らに言わせればこれは芸術だと言うのです。琉球ジャスコは石垣島に3店の食品スーパー、マックスバリュが有りますが、白桃の時期には台湾のお客さまがフェリーで来て白桃をケース単位で買って行きます。日本の白桃は台湾ではとても有名です。
イチゴの話をしましょう。私が香港に行って驚いたのは、向こうではイチゴを何段も重ねて陳列して販売しています。海外のイチゴは落してもバウンドします。そして傷みません。それだけ硬いですから重ねて陳列しています。ですから、スッタフは日本のイチゴが入り始めた時も同じように重ねておくわけです。日本のイチゴはソフトでデリケートですから、重ねておけばつぶれて直ぐに悪くなる。それぐらいの違いが有ります。日本の果物はとてもすばらしいと言うことをいいたいのです。

3.日本の農業・技術はアジアに広がる
次に、米に関する面白い話をしましょう。香港は自由貿易ですから関税はありません、米も世界から集まってきます。香港のジャスコでも、タイ米、中国米、オーストラリア米、アメリカ米、日本米など各国の米が並んでいます。そして、香港にもねずみがいます。それはとても大きいですが、そのねずみが先ず食べるのは日本米なのです。他の米は見向きもしません。ねずみにも日本の米の良さがわかるのです。それだけ日本の米は美味しいのです。
あるとき香港に黒龍江省から米の売り込みがありました。すし米として使って見てほしいと言うわけです。黒龍江省では昔は雑穀しか取れなかったところです。ところが日本人がそこに行って、東北・北海道の品種の米を黒龍江省で作って持ってきたのです。それから2週間後、今度はベトナムから米をすし米として使ってほしいとやって来ました。これも日本米でした。
このように日本の農業には素晴らしい良さが有るのに、日本の農業は米の45%減反をしなければならない。日本では米作りはず~と後戻りしているわけです。かたやアジアには日本の米がどんどん進出拡大して行っています。
また、私が香港に行った翌年の1998年、に驚くことが有りました。山東省青島からフジりんごが入荷し、とてもよく売れていました。そのフジは日本のものと比べると形が悪く、色も悪い、しかし値段は日本のフジの3分の1、しかも大きさ甘さは意外に良いものでした。
その折、毎年香港に来られます「青森りんご使節団」がジャスコの店を訪問されました。りんご農家の方々もお見えになりました。そのときは売場に精一杯青森りんごを並べ、欧米のりんごと青島のりんごも並べていました。皆さんは売場に来てやはり欧米りんごはたいしたこと無い、日本のとりわけ青森りんごは美しく美味しいとおっしゃていました。
私はりんご農家の方に青島のフジりんごを食べてみてくださいと勧めました。召し上がった後、農家の方々は5個位づつ買って帰えられました。あまりにも値段が違うのと立派な大きさにとても驚かれたようです。今フジりんごは日本にはオーストラリア・タスマニアからも入ってきていますが、ただそれらはチョット小さい。ところが青島は緯度から言えばりんごには適しておりいい物が取れ始めています。

4.中国農業の近代化と日本の技術
香港のジャスコは大型店が8店舗あり、上場会社でして香港の大型店ではナンバーワンです。ですから、中国の広東省やシンセンあたりの農場から売り込みがたくさん有ります。
ある時、私は200人の労働者がいる農場に行ってきました。どこまでが農場かと聞きますと、見えている範囲が全部農場だと言うほど広いのです。
この農場の話を九州の物産フェ-アーで来られた九州熊本の県議さんにしますと、「中国の農業は30年ぐらい遅れているでしょう」とおっしゃる。確かに、労働者の住んでいる生活環境はとても遅れていますが、農場そのものは素晴らしい。日本人は機械化されてないから遅れていると言いますが、中国には人手はいくらでもあるわけです。農業は人手を掛けたほうがむしろ良いわけで、雑草も除草剤等使わずに手で取りますから、取り除いたこんなきれいな雑草の山を私はこれまで見たことがありません。
キューリやなすが日本と同じやり方で作られています。要は目にするものは日本の農業そのものでした。農場の責任者は日本の種屋の本を見せて、欲しい野菜があれば直ぐに作ると言っていました。この農場は香港人が金や技術を提供し、地域の政府が土地を出して運営されていました。
ここには収穫した野菜を集めるプレハブの倉庫があり、そこにはクーラーも有りません。しかし、倉庫の一角に事務所があり、そこはクーラーが効いておりコンピューターが3台ぐらいありました。そこに白人がいました。その白人は何をしているのか聞きますと、彼はカナダ人で有機栽培の指導に来ていると言う。なぜコンピューターがあるか聞きますと、デジカメもあると言う。何をするのかと聞くと、デジカメで野菜の写真をとって、後何日か経つと例えばキューリが1万本ぐらい供給できるとインターネットを使って上海・シンセン等の大都市に送る。そこでは農場と消費地が直結になっているのです。
次に果物のビニールハウスを尋ねました。完璧な水耕栽培でこだまスイカとマスクメロンを作っていました。私は驚いてこの技術はどうしたのかと聞いたところ、香港人が静岡の袋井で2年間働いてどうやればこれができるか勉強したと言うのです。袋井はマスクメロンの日本一の産地です。ただ食べてみるとマスクメロンもこだま西瓜も甘くなく美味くない。しかし、2年待ってくれれば必ず満足できるものを作ってみせると言いました。
今色々話したように中国農業は大きく変わってきています。しかもここでも日本の技術が生かされています。
中国の雲南省に行ったときの話をします。ここは少数民族が多く貧しいエリアがあります。無医村地区の多いところです。香港ジャスコが寄付をし、地方政府と協力して家庭の主婦や若い子女を集めて衛生に関する教育と熱が出た時などの初歩的な医療処置を学ぶセミナーを開講しました。そのとき聞いた話ですが、世界花博が雲南省クンミンで開催されましたが、この花博を支えたのは日本人だと言うのです。花の種子は日本の企業が提供し、日本人の指導者が花博を支えていたのです。
種について言えば、中国の野菜等の種も日本の種・技術が生きています。また、工業分野ではクーラー、今一番中国が生産していると思いますが、そのクーラーも外側はみな中国産ですが肝心のモーターは日本の企業が提供しています。世の中の産業の一番大事なところを日本人がキチット押えてやっているのです。
私はマレーシアでも1年勤務していましたが、当時マハティール首相がどうしても国産車を作りたいと「プロトン」と言う国産車を作りました。しかし、エンジンは三菱自動車でした。
私が今まで話したことでもっとも言いたかったことは、農業だって自給調整だとか後ろ向きな取り組みでなくてもっとどんどん外に出て行ったらいいのではないか。農協などは会社として、もっと国際化して行ったらいいのではないかと思うわけです。今、日本の茶葉だって海外で生産されているのです。

4.生産者と消費者が直結する時代
農業が変わってきています。それは直接に産地と消費が結びつくことで変わっていきます。
全国で新しい動きがどんどん起こってきています。大社でも農家の人が直接持ち寄ったお店が出来てきています。私どものスーパーでも店頭の野菜を見ると個人名が入ったシールが貼られた野菜がありますが、それは農家の方に毎朝店頭に持ってきていただいている野菜なのです。沖縄で農家が持ち寄って販売している施設を尋ねてみますと、農協では、例えば冬瓜でもサイズや形で受けてもらえないものが出る。これは無駄になる。47の農家が自分の持ち場で朝取ってきた野菜を並べて売っています。中国の農場のインターネットと同様に、農家が直接消費者と結びつく時代がきていると思います。
バリ島の日本人で現地の伝統音楽演奏者と結婚して現地に住んでいるマサ子さんはココナッツで作る石鹸を作って売っていました。現地の土産物屋で石鹸を見つけたインターネットビジネスをやっている私の知人がマサコさんを訪ねインターネットサイトで売ってみないかと声を掛けました。今では注文しても相当待たなければ手に入らないほどの売れ行きになっています。現地のひとたちの懐も潤いとても感謝されています。
これらが教えてくれるものは、これからはやり方次第で、特徴を生かせば、たとえ小さい企業でも生きていける。小さな農家でも生きていける時代になっていると言うことです。
ある地方のテレビで放映された話をしましょう。今農家はドンドン高齢化しています。農業をお爺ちゃんお婆ちゃんがやっています。野菜などでわざわざ市場に持って行くほど作っていない。だけど余ってしまう。それをあるスーパーの親父がお年寄りの農家を回って集めそれを販売しています。一週間後には現金を置いていきます。そのように今後は地域の中で回っていくような仕組みが重要に成ってきていると思います。農協を通じないで直接産地と小売・消費者が取引する時代になってきています。

5.コンピュータ-が社会を変える
コンピューターの話をします。香港に来て2年たった2000年頃、旗艦店舗のコーンヒル店でコンピューターが1-2週間で800台ぐらい売れるようになりました。半端な数ではありません。それは小学校の1年からコンピューター教育を始めると政府が発表したとたんに売れ始めたのです。
そして、その1年後、中国広東省広州市長にお逢いした時に、「コンピューター教育は小学校1年からする。そして英語もやる。何故なら今後の世界はすべてインターネットも英語でやり取りする時代になる」と話していました。中国では親も子供も分かってきている。将来の米の飯は英語とコンピューターだと。この2つを身につけていれば将来十分に食っていけると言うわけです。香港のインターネット加入数は日本以上です。現在世帯数近くまでに普及しています。中国でもコンピューターとインターネットの普及は進んできています。
コンピューターの話でもっとショッキングなことを話しましょう。私どもの名誉会長の岡田がカンボジアに学校を寄付した最初の学校を視察した時の事です。学校はそのときは夏休みでしたが、1つの教室に7歳から14歳ぐらいの子供たちが1箇所に集まっていたそうです。よく見ると子供たちの真ん中にコンピューターがあったのです。このコンピューターはアメリカのアップル社が寄付したものでした。アップル社はカンボジアに学校ができると必ずコンピューターを一台送っていたのです。電気のない地域では風力発電のセットと一緒に送っていました。そこでもっと驚いたのはコンピューターの言語がカンボジア語でなく英語のソフトだったと言うことです。
先般の反日デモも中国のコンピューター普及と無関係でありません。
ジャスコのシンセン店から1キロ先に日本の秋葉原と同じ様な電気専門店街があって、そこはコンピューター等を扱う店舗が集中している地域です。そこに若者が集まって店舗までデモをして来ていたわけです。
デモはなぜ起こったのかといいますと、コンピューターの普及と関係があるのです。デモ隊を形成しているのは学生等の若者でコンピューターのネット情報を元に行動していたのです。シンセン市には新聞が幾つかありますがこれはすべて中国共産党の新聞ですテレビもそうです。情報は統制管理されています。ですから反日デモがあったことも全く報道されていませんでした。
一方、コンピューターは中国ですごい勢いで普及していまして、コンピューターは相互に自由にやり取りできる世界ですから、そうした世界で情報が若者の間で膨らみ集まろうということで数万の若者がデモに参加したのです。
中国のコンピューターの普及を知る上でのエピソードですが、先般の参議院で郵政民営化法案が否決されたことを同時刻にシンセンの中国人社員も知っていました。日本で起こっていることは同タイミングで中国でも知ることができます。ただそれを知るのはコンピューターとなじみのある一部の学生など若い人たちだけです。

6.トップから教えられ学んだこと
最後に、私は秘書室長として、当時のジャスコ岡田会長と共に働いた時期が5年間ありました。サラリーマン人生でこのような素晴らしい方に使えたこと、貴重な経験ができたことをとても感謝しています。そのときのことを話したいと思います。
私が秘書室長になりたての頃、部屋に呼ばれ、横浜国立大学の名誉教授の宮脇昭さんに会って来いといわれ会いに行きました。宮脇先生は植物の環境生態学の世界的権威でして、
世界的に地域の緑化、日本のふるさとの森づくりを進めた方です。その先生の指導でその後ショッピングセンターを作ると店周辺に植樹をする運動を進めてきました。現在国内外を含めて500万本の木を植えてきました。その木を植えるのも業者に頼むのではなくて、マレーシアでもタイでも中国でも国内でも地域の市民の皆さんに植えてもらっています。新店で募集をしますと3000人ぐらいの方が集まります。皆さん自分の植えた木をちゃんと覚えていまして、勝手に移設や撤去はできないわけです。皆さん自分の植えた木にとても思い入れがあるのです。
出雲で結婚式をされる方々に記念に出雲大社の敷地の中に地域の生態系に最も合った木を植えていただくようなことが出来ませんか。もちろんそれは有料でいいわけです。やがて子供ができ孫ができれば家族の良い思い出になると思います。植樹活動を通じてこのように感じてきました。
もう一つ岡田に教えられたことがあります。カンボジアにバタンバンと言う最も激しい戦争のあった所があります。地雷がたくさん埋められたところでもあります。子供や大人の足首をなくした人がたくさんいる地域です。そこには日本の赤十字が義足を作る施設を作って活動しています。日本はカンボジアのODAの二分の一を行っていまして、それは全て税金です。
その近くにイタリアが作った病院があります。ところがこの病院はイタリアの市民が作ったものです。イタリアで作られた地雷がカンボジアで使われ人々を傷つけたことに対して、イタリアの地雷工場のある地域の市民が金を出して病院を建設したものです。運営費が年間1億かかりますがそれはサッカーの盛んなイタリアですから運営費はサッカーのチャリティーでまかなわれています。
岡田が言うには、「日本は赤字財政で今後大変なときを迎える、だから、これからは何でもお上に頼る時代ではない。市民が自分たちでできることは自らやっていく時代だ」と。私たちイオンは店頭で募金を市民の皆さんにお願いして集めたお金でユニセフと協力して、カンボジアに学校を144校もつくることができました。岡田が言うには、「ショッピングセンターや大型店は毎日、ほかのどの施設より多くの人が集まるところだ。店の店頭を使って啓蒙していけば民間として素晴らしいことができる。イタリアを見てみろ。民間として社会貢献はいろいろ出来きる」「地域を守るのは市民である。市民の1つ1つの社会への参加が今後の活発で活力ある社会を生むのだ」ということを岡田は教えてくれました。この言葉でもって私の話の締めくくりとしたいと思います。本日はご静聴ありがとうございました。